LIFE

ゲイが愛する女たち

ゲイが愛する女たち。そこにはどんな「愛される要素」があるのか。ゲイたちは女の人生に自分の何を投影し、何を疑似体験するのか。女という生き物に一家言あるゲイたちが手放しで愛し、崇拝する稀有な女たちの横顔をシリーズでお届けする。

今回クローズアップするのは、「伊藤みどり」。言わずと知れた女子フィギュアスケート界の伝説的存在だ。

そもそもフィギュアスケートは、ゲイからの人気が高い。氷上で音楽とともに舞う優美さ、指先まで神経の行き届いた身のこなし、衣装やメイクの美しさ、そして技に失敗した際は残酷にも氷の上に全身を叩き付けられるという悲壮感。これらの要素がフィギュアスケートの「美」と「はかなさ」を形成し、ゲイたちの心を掴んで離さないのではないだろうか。

「初めて」尽くしの功績

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伊藤みどりはそんなフィギュアスケートの歴史の中で、偉大な開拓者であった。彼女が繰り出すジャンプは、スピード、高さ、幅、着氷時の流れ、どれを取っても当時の女子選手のレベルをはるかに凌駕していた。

当時は誰も跳べなかった三回転~三回転の連続ジャンプや、6種類の三回転ジャンプ、そして、彼女の代名詞となる三回転半ジャンプ(以降:トリプルアクセル)は、伊藤が女子選手として世界で初めて成功させたものだ。

特にトリプルアクセルは、1989年の世界選手権(パリ)において成功し、日本人のフィギュアスケート選手として初めて金メダルを獲得した。1992年のアルベールビル五輪でも、女子選手としてオリンピック史上初めて成功している。以降、2010年のバンクーバー五輪で浅田真央が成功するまで、女子では実に18年にもわたり成功者がいなかったことが、いかに難しい技であるかを物語っている。

特に、伊藤が成功させた1990年前後は、現在と比べてスケート靴が重く、高く飛び上がるには不利な状況であったというから驚きだ。

伊藤の輝かしい成績、また超人的な身体能力を表すエピソードは枚挙にいとまがないが、彼女がゲイに愛される理由は、大きく分けて二つあると筆者は考える。

フィギュアの歴史を変えたサクセスストーリー

一つ目は、伊藤が海外で高く評価され、人気を集めたことに対する共鳴である。

1984年のサラエボ五輪、1988年のカルガリー五輪を制したカタリナ・ビット(当時:東ドイツ)ら、長身で手足が長く、容姿端麗な選手がドラマチックな演技を披露し、それが高得点を生み出していた当時のフィギュア界において、体格面でのハンデをものともせず、むしろそれを利用して「アクロバティック」とさえ表現し得るジャンプ、そして回転が速く軸のぶれないスピンでフィギュアスケートの「肉体性」に光を当てた伊藤が、国際大会で万雷の拍手を浴びた。

勢力図の中で圧倒的に不利な位置にある日本人が、たった一人で競技の常識を覆し、評価され、敬愛される。そのサクセスストーリーに、ゲイたちは妄想の自己を重ね合わせ、自分が氷の上で「ゴムまりのように」ジャンプを跳んでいるような幻想を見たのではないだろうか。

語り継がれる伝説の演技

では、ゲイたちがいまだに歓喜する、伊藤の「生涯最高の演技」とはどれか。この問いに、おそらく多くのゲイは、1988年カルガリー五輪でのフリー演技を挙げるであろう。

18歳、高校三年生でこの大会を迎えた伊藤は、当時実施されていた「コンパルソリー(規定)」という要素(氷上で課題となる図形を描き、その軌跡の正確性などを競う)で10位、ショートプログラム終了時点では総合8位につけていた。

このフリー演技で、伊藤は持ち前の身体能力の高さ、ダイナミックなジャンプを余すことなく見せつける。5種類の三回転ジャンプを7回、ノーミスで決め、演技が終了する前にガッツポーズを繰り出し、観衆はスタンディングオベーション。

演技終了後は、その日最も大きな拍手が客席から降り注いだ。この約30年前の演技について、いまだ紅潮して語るゲイのなんと多いことか。味方のいない戦場において、小さな体で大きな扉を開いた伊藤は、その感動的なストーリーを追体験させてくれる貴重な存在なのである。

一方で、伊藤がゲイに愛されるもう一つの要素が、競技者人生の集大成となったアルベールビル五輪における、「悲劇のヒロイン」としてのストーリーと、その先に見せた強い「執念」である。

国民の期待を背負った悲劇のヒロイン

生き生きと、文字通り弾むような演技を見せたカルガリー五輪から四年。名実ともに世界のトップ選手となった伊藤は、金メダルの最有力候補だった。

当時、冬季五輪で日本の女子選手は全競技を通じてメダルを獲得したことがなく、日本中の期待が伊藤の肩にのしかかっていた。

この四年で、伊藤が不得意としていた「コンパルソリー」が廃止され、ルールも伊藤にとって有利に働いた。金メダルはもはや至上命題とされ、五輪前から伊藤の一挙手一投足に注目が集まっていた。

そして迎えたショートプログラム(当時:オリジナルプログラム)前日練習。伊藤は突然、原因不明の不調に見舞われた。今まで簡単に成功していたジャンプにことごとく失敗。フリーを合わせ、総合で1位となるには、ショートプログラムで3位以内に入ることが必須要件とされ、失敗は許されなかった。

最終的に、伊藤はショートプログラムで入れる予定だったトリプルアクセルを直前で回避。トリプルルッツ(三回転)に変更した。しかし、直前でのプログラム変更はあまりにリスキーな戦略だった。結果、変更したトリプルルッツで転倒。4位と出遅れ、自力での金メダル獲得は消滅した。

このとき、テレビカメラの前に立った伊藤は力なく笑いながらこうコメントしている。

「ごめんなさい…ミスしちゃって。」

当時を知るゲイたちは伊藤に感情を移入し、国の期待を一身に背負う伊藤のつらさをリアルに感じていたことだろう。

それは、誰もが認める「天才」が、集大成として臨んだ最後にして最高の舞台で直面した高すぎる壁だった。

アジアの小柄な女子選手が世界のトップに駆け上るための唯一無二の武器であったトリプルアクセル。それがここぞと言うところで決まらない悲劇。

伊藤の悲壮感漂う表情は、四年前、カルガリーの舞台で溌剌とした笑顔を振りまいた18歳の伊藤のそれとはまったく異なるものだった。

しかし、単純なサクセスストーリーでもバッドエンドのストーリーでもない、この後のドラマチックな展開が、後世のゲイたちの語り草となるのである。

現役最後のトリプルアクセル

迎えたフリー。ラフマニノフの哀しげな調べに乗った伊藤が、ショートプログラムで失敗したトリプルアクセルに挑む。

日本中が息を呑んだその瞬間、伊藤の体はまたも固い氷の上に叩き付けられた。

悪夢のような失敗。

このままでは、金メダルはおろか、メダルの獲得もおぼつかない状況だった。

そして迎えた演技後半。伊藤はふたたびトリプルアクセルの軌道に乗った。伊藤らしい、男子選手にも負けないスピード。演技後半とは思えない俊敏さで片足を振り上げ、飛び上がる。

それが、世界で初めて、女子選手がオリンピックでトリプルアクセルを成功させた瞬間だった。

それはもはや、「努力」や「才能」の次元を超えた、「執念」の結実だったと言えよう。

すでに失敗した大技をもう一度、しかも体力の消耗した演技後半に跳ぶという精神力は、並大抵のものではない。

最後のポーズを決めた伊藤は、安堵したような表情を浮かべた。そこにはやはり、カルガリーで見せたような笑顔はなかった。結果は銀メダル。誇らしげな表情で表彰台に上る伊藤の姿に多くの国民が涙し、多くのゲイが胸を焦がした。

この、「ずば抜けた才能を持ち合わせていながら、望んでいた結果を掴むことができなかった」という悲劇のストーリーも、ゲイの心をくすぐる。

金メダルを獲得し、有終の美を飾るという最後のパーツが揃わなかった伊藤の「完璧ではない人生」が、ゲイたちの共鳴を呼び、「私たちのみどり」として崇められるのだ。

フィギュアスケートの歴史に革命をもたらし、多くの栄光を手に入れ、そして見えない「プレッシャー」という敵と苦闘し、最後の最後に執念で自分の望むことを成し遂げた伊藤。

そのたくましくひたむきな生き方は、今なお多くのゲイたちの心の中に、鮮烈にやきついている。

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