2026年9月5日から全国で順次公開されているドキュメンタリー映画『沼影市民プール』をめぐり、上映後のトークイベントやインターネット上で、作品に登場する性的マイノリティに対する差別的・侮蔑的な発言が確認されました。
これを受け、映画の制作チームは9月16日、公式X(@numakage_film)で声明を発表。
「制作・上映に携わる立場として、質疑応答の場としてこうした場面を作り出してしまったことについて重く受け止めています」としたうえで、今後の上映後トークや質疑応答では、差別的な発言や特定の個人・属性を揶揄する発言を控えるよう事前に案内するなど、より安心して参加できる環境づくりに努めるとしています。
この記事の目次
『沼影市民プール』とは? 52年間で約600万人が訪れた「沼プー」
『沼影市民プール』は、埼玉県さいたま市南区にあった「沼影市民プール」を舞台にしたドキュメンタリー映画です。
沼影市民プールは1971年、「海なき市にプールを」という市民の願いから誕生しました。50メートルプールや子ども用プール、全長約100メートルのウォータースライダーなどを備え、「沼プー」の愛称で親しまれてきた施設です。
52年間で約600万人が訪れ、子どもたちの遊び場としてだけでなく、市民の健康づくりや交流の場としても利用されてきました。
しかし2021年、さいたま市がプールの解体と小中一貫校の建設計画を発表。施設の存続を求めて900通を超えるパブリックコメントや1万人以上の署名が寄せられたものの計画は進み、2024年3月、沼影市民プールは営業を終了しました。
映画では、プールが営業を終えるまでの49日間を記録。ひとつの公共施設がなくなることで、そこにあった人々の記憶やつながり、そして「居場所」がどう変化するのかを描いています。
ゲイ男性にとっても「居場所」だった沼影市民プール
沼影市民プールには、もうひとつの側面がありました。
夏になると県内外から多くの性的マイノリティの男性が訪れ、公共空間のなかに独自のコミュニティが形成されていたといいます。
映画の公式サイトでも、沼影市民プールについて「子どもたちの遊び場」「高齢者の健康づくりの場」であると同時に、「名前のない出会いや関係性が生まれる場所」だったと説明されています。
太田信吾監督もインタビューで、沼影市民プールが長年、ゲイ男性にとって出会いの場としても知られていたことを知ったことが、映画制作を考えるきっかけのひとつだったと語っています。
監督は、子どもや家族連れ、高齢者、水泳をする人、ゲイの人たちなど、目的や背景の異なる人々が同じ公共空間を共有していたことに関心を持ったと説明しています。
つまり、この映画における性的マイノリティの存在は、作品に後から付け加えられた要素ではありません。
ひとつの公共空間にどのような人々が集まり、それぞれがどんな記憶や意味をその場所に持っていたのか――。
その「多層的な居場所」を記録するうえで、性的マイノリティの人々の存在も重要な一面として描かれているのです。
上映後の質疑応答やSNSで差別的な発言
今回、制作チームが声明を出すことになったきっかけは、上映後のトークイベントにおける質疑応答でした。
制作チームによると、作品に登場する性的マイノリティについて、蔑称を用いた質問や揶揄するような発言が繰り返されたほか、インターネット上でも匿名による同様の投稿が確認されたといいます。
太田監督も声明を引用する形で行ったコメントで、性的マイノリティの登場人物を侮蔑的に表現する投稿だけでなく、「なぜ映画にゲイの人たちを登場させたのか」ということ自体を問う投稿も確認されていると説明しました。
一方で、制作チームは映画について議論することそのものを否定しているわけではありません。
声明では、上映後の質疑応答について「最大限自由闊達な議論ができる場」にしたいとしながらも、自由な議論と、特定の属性を持つ人々に対する差別的・侮蔑的な表現を許容することは同じではない、という考えを示しています。
制作チーム「誰かの存在や記憶が排除されることを望んでいません」
制作チームは声明のなかで、『沼影市民プール』について、ひとつの公共施設がなくなっていく過程で、そこに集っていたさまざまな人々の記憶と存在を記録した映画だと説明しています。
そして、「年齢や職業、立場、性的指向などの違いによって、誰かの存在や記憶が排除されたり、異質なものとして扱われたりすることを望んでいません」としています。
また、今後の上映後トークや質疑応答では、差別的・侮蔑的な発言や、特定の個人・属性を揶揄する発言を控えるよう事前に案内するなど、参加者が安心して過ごせる環境づくりに取り組むとしています。
「誰がそこにいたのか」を記録するということ
公共施設は、誰もが同じ目的で利用する場所とは限りません。子どもにとっては遊び場であり、高齢者にとっては健康づくりの場所。友人と過ごす場所でもあれば、誰かと出会う場所になることもあります。
そして、ある人にとっては、周囲には話せない自分自身の一面を安心して過ごせる場所だったかもしれません。
沼影市民プールも、さまざまな人に異なる意味を持つ場所でした。
その場所がなくなるとき、建物だけではなく、そこに積み重なっていた人々の記憶や関係性も失われる可能性があります。
『沼影市民プール』が記録しようとしているのは、単なる「昔のプールの風景」ではなく、そこに誰がいて、どのようにその場所を使い、どんな記憶を残していたのか。
そうした複数の視点を残すことも、この映画が描こうとしている「居場所」のひとつの姿だといえるでしょう。
今回の声明は、そうした作品の背景に対して、性的マイノリティの存在を理由にした差別や侮蔑が向けられたことを、制作側が看過しない姿勢を示したものです。
『沼影市民プール』は現在も各地で上映中
映画『沼影市民プール』は2026年9月5日から、東京・シアター・イメージフォーラムなどで全国順次公開されています。
今後も大阪・第七藝術劇場、京都・アップリンク京都、神奈川・横浜シネマリン、千葉・キネマ旬報シアターなど、各地で上映が予定されています。
作品を通して描かれるのは、ひとつのプールがなくなるまでの時間だけではありません。
そこを利用していた人々にとって、その場所がどんな「居場所」だったのか。
そして、公共の場所にさまざまな人が存在することの意味とは何なのか。
今回の出来事をきっかけに、映画そのものだけでなく、「誰にとっての居場所なのか」「誰の記憶を残すのか」という視点から作品について考えてみるのもよいかもしれません。