レインボーフラグ考案者G・ベーカー氏死去、虹色にかけた想い

3月30日にレインボーフラッグの考案者であるG・ベーカー氏が65歳という若さで亡くなった。

G・ベーカー氏はLGBTの象徴にもなっているレインボーフラッグの考案者であり、1970年代のLGBTsへの理解がまだ進んでいない時代からLGBTsの権利獲得に向け命がけで活動を行った人物である。

レインボーフラッグの製作は初の同性愛者を公言して市会議員になったハーベイ・ミルク氏の依頼によって始まり、1978には現在のレインボーフラッグの原点である8色のレインボーフラッグが誕生した。

各色には以下の意味が込められており、全体で『多様性』を表している。ちなみに現在のレインボーフラッグを見てみると6色であるがこれは当時の生産技術の問題からくるものである。アメリカにてLGBTsの権利を訴える活動が活発化したことで大量の旗が必要になったが、当時は8色を印刷した旗を大量に生産することが難しく現在の6色がメジャーとなったということだ。このエピソードからも当時のLGBTsの活動の勢いを感じ取ることができるのではないだろうか。

レインボーフラッグが広く知られるようなるにはある悲劇的な事件が背景にある。それがレインボーフラッグの制作を依頼したハーヴェイ・ミルク氏の死である。ハーヴェイ・ミルク氏は同性愛者を公言した初の市会議員で、LGBTsだけではなく有色人種や高齢者など社会的弱者といわれる人たちの権利向上を求めて活動していた。しかし市会議員当選後一年足らずの1978年に何者かによって暗殺されてしまう。LGBTsの権利を強く主張していたハーヴェイ氏の死によってLGBTsの人権活動が沈静化することも想定されたがこの悲劇的な事件はLGBTsの結束力をさらに強める結果となった。

そして、その結束力を示す手段として使用されたのがレインボーフラッグであった。レインボーフラッグはプライドパレード実行委員会をはじめとするLGBTsコミュニティーにて使用され瞬く間に認知度が向上した。そして現在ではアメリカ国内だけでなく海外でも「レインボー=LGBTs」という認知を広げ受け入れられている。

 

ベイカー氏はレインボーフラッグにどのような想いを込めたのだろうか?

なぜ虹色にしたのかというCBSのインタビューにて彼は以下のように答えている。

「虹は、多様性を受け入れるということを瞬時に理解させてくれるんだ。虹は美しく、すべての色が含まれている。私達のセクシュアリティは、すべての色だ。私たちはすべてのジェンダーであり、人種であり、世代なんだ」

虹は『多様性』を表しており、LGBTsに限らず『多様性』を受け入れる社会の実現という想いが込められている。彼の願い通り、アメリカではレインボーフラッグの普及と同時に同性婚の合法化など平等な社会の構築が進み、レインボーフラッグは『多様性』の象徴にもなっている。今後のレインボーフラッグの更なる普及を願うと共に、ベイカー氏がレインボーフラッグに託した『多様性』を受け入れる世界の実現されることを願いたいと思う。

(写真はalazoraの発見より)

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